ちょうど十年前出版の
拙著の中に残る文章
菅原工芸硝子さんについて
想いを言葉にしたもの
先日のこと
期せずの再会となった
お客様との会話の中で
「この本、昔台湾に旅行した時に台北の雑貨屋さんに置いてあって、そこで買ったんです!」と
長く生きているとこうして
幸せな瞬間がふいにやってきます
それではそんな本の中の
菅原工芸硝子さんについての文章を
(ちなみに
ISBN978-4-7683-0452-5
にて今もまだお求め頂けるやもと)
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硝子という字が好きです。同じ響きでもガラスとあらわすと、冷たさや脆さといったガラスの持つ繊細な一面ばかりが強調される気がして。ですが「硝子」からはやさしくあたたかなものが漂い、同時にどこか懐かしく、遠い記憶と繋がるような感覚すら覚えるのです。そうすると聞こえる音や響きまで違ってくるから不思議です。そして私が菅原工芸硝子さん(以下、スガハラと)の生みだすものを想うとき、そこに浮かぶ文字はもちろん「硝子」です。
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スガハラの職人さんの生みだす硝子たちを眺めていると、私は遠い夏の日を想い出します。まだ自分が幼かった頃、今はなき母がまだ若くうつくしく私の前で微笑んでいた夏の日。その日その場所に私を連れて行ってくれるのです。父、母、兄との四人で暮らす小さな平屋。その小さな部屋には、お年玉付き年賀はがきの一等で当たった白黒テレビとそして卓袱台があり。私はいつもと同じようにすぐ近くの神社の境内で汗びっしょりになって遊び、喉をからからにして帰ってくるのです。すると母は小さな冷蔵庫から硝子の水差しを出し、硝子のコップと一緒に卓袱台において。「はいどうぞ」とよく冷えた麦茶を砂糖の入った甘い麦茶をその硝子コップに注いでくれるのです。そして私がそれをすぐに飲み干すとまた注いでくれて。それから少し落ち着いて汗がひくまで、ゆっくりとずっと団扇で扇いでくれて。簾越しには涼やかな風鈴の音と幾重にも重なる蝉の声が。
そんな四十年も前のあの日あの場所に、スガハラの硝子は連れて行ってくれるのです。ただその硝子をゆっくりと眺め、ゆっくりと触れるだけで。何を馬鹿なことをと思われるかもしれませんが、少なくとも私にはそう想えるのです。本当に。そしてさらに想うのです。もしかしたら、あの日あの時、母が差し出してくれたあの硝子は、スガハラのものではなかったのかと。それを確かめる術はもうないのですが、もしかしたらと。
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スガハラの硝子。その魅力は職人さん自らがデザインに携わり、その手により一つひとつを吹き、伸ばし、生みだされる比類なき美しい姿。そして絶妙なバランスで生みだされる比類なき色。それはもう、それだけで十分に素晴らしいものです。ですがその先の更なる深い魅力は、やはり硝子に込められた「想い」なのでしょう。その想いが東京で生まれ八十余年。現在の地、千葉九十九里に移り五十余年。「生きている硝子」と向き合い会話をし、その先の手にする方の笑顔を想い灼熱の中ひたむきに汗をながす。その中でしか生まれ得ない「想い」こそが多くの人々の心を魅了するのでしょう。もう十数年の間一度も消えていないという巨大な炉の炎を眺めながら、その炎と向き合う職人さんの表情を眺めながら、私はあらためて想うのです。あの日あの時の硝子は、目の前の光景と同じように想いを籠められ、此処で生まれたものだったのだろうと。きっとそうに違いないと。
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十年一昔
とはいえ想い変わらずに
それでは本日も
@sghr_sugahara
菅原工芸硝子の
職人さんの想いと
新作定番アーカイブ
そしてSGHR RECYCLEなど
凛と涼やかな硝子達と共に
皆様のお越しお待ちしております
いつものFEELもそのままにて
硝子と家具
硝子と陶器
硝子と写真
硝子とオーディオ
硝子とフレグランス
是非そのハーモニーも
感じて頂けましたらと
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SGHR in FEEL
菅原工芸硝子展
日日是涼日
2023 葉月
8月2日(水)〜8月31日(木)
12:00〜18:00
(定休の土曜日 5、12、19、26、
あわせて22(火)、23(水)は
休業となります。)
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